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そのきさらきの もちつきのころ

2010/03/27 16:04

 

ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (山家集)-西行 ※

 

東京では30日にも桜が満開になるという。奇しくも、今年はその日が如月の望月。桜は日本人の死生観に、何故、結びつくのか。この季節になると、よく問われるお題である。そういう日本人の死生観として難解なのは「海ゆかば」という歌なんではなかろうか。

 

 

 

 

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

 

私も最初にこの歌詞を見たときには、なんのことなのかワケワカメw
ググッてみても、的を射たページにはなかなか辿り着けぬばかりか、誤解だらけ(と、私は思った)。それほど、この歌は難解なんだと思う。いや、実は、歌は難解でも何でもなく、我々の感性にこそ問題があったのだ。

 

ポイントは「かへりみはせじ」なんであろうと思う。水漬く屍、草生す屍、大君の辺にこそ死なめ-で、軍国主義云々と頭の悪い者が叫ぶw いつもの見飽きた景色であるw そういう馬鹿は、屍や死にばかり眼が逝ってしまって、かへりみはせじwww

 

「かへりみはせじ」で、実は明転していることに気づかないのだ。つまり、この歌はどう生きるべきかの決心を示しているのだ。水漬く屍となっても構わぬ、草生す屍となっても構わぬという、生きる指針、決心。そのような決心を本に、揺るぎない生き方をする。これは凄まじいまでのエネルギーと言ってよい。

 

さらに難解なのが-大君の辺にこそ死なめ-である。ここが現代日本人に失われつつある感性なのであろう。しかし、簡単に言ってしまえば「大君の辺」とは「志」のことなのである。

 

これは別の側面から説明すると判りやすい。例えば、昨年、某国営放送で山村に生涯を捧げる決心をした医師の姿が放映されていた。
アンコール (2009年10月27日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/091027/index.html

--------------------
あの時点で、医者を辞めるか、或いは、かなり訴訟問題でややこしくなって、雁字搦めになって、患者さんもダメになるけど、自分もダメになる。両方ダメになると思っていたので、まさか帰りの車の中で「こういうことは誰にでもある。お互い様だ」なんて言葉を掛けて貰えるとは思ってもいなかったんで、びっくりしましたね。
そういう人たちのいる、この地域の雰囲気っていいますか、そこの、こう、人間性の豊かさというか、心の広さにね、本当に驚きました。
--------------------

 

上記番組の趣旨に異を唱える者はいまい。人と人との触れ合いに感動し、人生を変えられてしまったというのは美談ではあっても、批難される類のものではない。そこに「志」が生まれたからである。この中村医師の心中を汲むならば、「かへりみはせじ」となるであろう。

 

大君の辺にこそ死なめとは、そういう意味なのである。そういう理解ができるならば、海ゆかばは、実に明るく、前向きで、情に深くも誠実な歌であることが判る。

 

何故、そのように言い切れるのか。
大君は、我々国民を、古より「大御宝」と呼んでこられたからである。

 

他国の為政者で、国民を「大御宝」に準ずる呼び方をしていた国があるものか。私はこの一事を以て、日本国を世界最古の民主国家と言って差し支えないと考える。聖徳太子の憲法一七条にも、明治天皇の五箇条の御誓文にも、民主国家としての基本理念が、縷縷、述べられている。-広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ-とは、聖徳太子の昔からの日本の基本方針に他ならない。つまり、日本の民主主義とは、欧米からの輸入などではなく、聖徳太子の古よりの日本独自の民主主義なのである。

 

日本は「和を以て貴しとなす」国なのだ。大和とはそういう意味。和とは、私心を排して受け容れ、赦し、愛すること。大和魂とは、大いなる愛の心なのである。大君の辺とは、その大いなる愛の心に近づくこと。つまり、大いなる愛の心に添うべく立てられた志なのである。

 

明治神宮HPより、教育勅語現代語訳(抜粋)
http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html
--------------------
  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
--------------------

教育勅語を現代語訳で読むというのも情けない限りではあるが、極めて真当なことしか書いていない。

 

しかしながら、畏れ多くも、こういう真当な姿勢が日本の歴史を貫いているのだ。朝日を浴びて、照り輝くように美しい山桜花。斯くの如くありたい、と日本人は願ってきたのだ。

 

敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山さくら花 - 本居 宣長

 

※如月の望月に追記

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夢に見た伏浮きが実現した!

2009/11/22 23:52

 

 いやぁ、驚きました。あれほどまでにシツコク沈んでいた脚が、嘘のように浮いてしまったんですw 私は、時々、空を飛ぶ夢を見ることがあるんですが、正にそのような浮遊感を、現実世界でというか水中で体験してしまいました。こんなことって、あるもんなんですねぇwww

 

 水泳には背浮きと伏浮きというものがあります。仰向けで浮かぶか、俯(うつぶ)せで浮かぶかの違いですが、どちらも水泳の基本姿勢であることに違いはありません。で、水は空気に比べて八百数十倍の密度があり、水中での運動は空気中の運動に比べて19倍ほどの粘性抵抗を受けるようです。更に、水中での速度が増せば、速度の二乗に比例して抵抗が大きくなるそうです。従って、足が沈んでシーアンカーみたいな役割を果たせば、こんなにも不合理な泳ぎ方はありません。

 

 タダでさえ、私の場合、肩幅が広く、逆に手も足も小さく、足首の関節が硬い。つまり、水の抵抗がやたらに大きく、推進力たる手足が貧弱w おまけに脚が沈んでいるとなれば、最早、絶望的www 思い起こせば、十数年前。バックスウィムが出来なくて、顔面が水面下数十㎝を潜航せざるを得ない姿を、オバサンたちに指差されて笑われた屈辱の日々が甦りますw

 

 あれから幾星霜...。この十数年間は水泳する時間も取れず、昨年12月に漸く水泳を再開することが出来たのでした。水泳を再開してからの数ヶ月は、リハビリと称してのちんたら泳ぎ。水泳の感覚を取り戻し、筋力アップを徐々に為し遂げ、今では背中の筋肉を褒められるようにまで回復www

 

 この間に出会ったのがTIスウィミング。とは言っても、カンタン・クロールDVD「カンタン・スウィミング」という本を購入しただけ。まだTIレッスンを受けたことはありません。それでも、TIスウィミングの水中姿勢はとても参考になりました。特に、クロールでは水面下に頭を沈めるということは、目から鱗でした。

 

 

 多くのスウィマーがそうであるように、私自身もクロールでは前方を見詰めながら、つまり、水面上に頭を出して泳いでいました。しかしながら、これでは脚を沈めることになります。脚を浮かすためには、頭を水面下に沈める必要があります。同時に、水という粘性抵抗を考えた場合、体の軸を一直線にして抵抗を減らす為にも、頭が水面上に出ていては軸が一直線になりません。「無駄な抵抗」とは、このこと。クロールにおける息継ぎも同様で、頭を持ち上げてする息継ぎは、「無駄な抵抗」以外の何者でもなし。一直線上の軸を崩さず、体全体を回転させて息継ぎをするTIスウィミングは、この点で実に合理的と思います。TIスウィミングでは、水面上に出ているのは肘を頂点とした腕のみ

 

 

 

 

 とまぁ、ここまでは水中姿勢の前振りです。ここまでを理解(実体験)できていないと、この先の私の経験を追体験、つまり、誰にでも出来る伏浮きができないかも、なんであります。が、おそらくは、頭を沈めると脚が浮くという物理法則と同様、カンタン伏浮きは物理法則と思われますれば、たぶん、誰にでも出来るハズw ここまでは念のための前振りですw

 

 要は水中の姿勢なんであります。筋力とは余り関係ないように思えます。その説明の前に、理解して戴きたいことは重心と浮心。重心とは体全体の重さの中心点で、たぶん、多くの人は腰のあたりにあるものと思われます。これに対して浮心とは浮力の中心点で、肺が空気をため込んでいる故に肺の辺りにありましょう。問題は、この重心と浮心のバランスなのでは、と私は考えました。

 

 ネットを検索してみると、丹田に力を入れるとか、大腰筋を使うとか、さっぱりワケが分かりません。そこで発想を変えて、私は浮心を沈めてみようと思い立ちました。

 

 重心を前方に後方に前方に移動しようとすると、これはかなり難しいものになってしまいます。一体、どうやって、重心を移動するのかと...。一般的には、肩甲骨の周りの筋肉を使って肩を前に出す...このように発想しがちなんですね。実際、クロールではこれらの筋肉を使って、つまり、体幹を使って泳ぎます。ところが、私の場合、どんなに前方に伸びようとしても、伏浮きでは脚が沈んでしまうのです。中には、その伸び切った姿勢から、更に両手の親指を突き出すように伸びろ、というアドバイスもありました。実に涙ぐましい重心移動論であります。

 

 一方、浮心を沈めようとすることは、存外、簡単なことでした。浮心が肺の辺りにあるのですから、胸を沈めればよい。具体的には、左右の鎖骨の中心点直下というか、首の下というか、胸の上部というか、その辺をプールの底に向かって開くように押し下げたダケ。

 

 基本的に、脚を浮かせるために頭は水面下にあり、且つ、浮力の中心たる浮心をほんの少し押し下げたダケで、あら、不思議。脚は夢で見た飛行体験の如く、水面付近に漂うようになったんでありますw これは驚きというか、感動!

 

 最初は胸を開くイメージを保持しつつ繰り返していたのですが、徐々にその必要はなくなっていきました。例の両腕で耳を挟むストリームラインでもなんなく脚が浮いています。いつもなら蹴伸びでスピードが落ちた途端沈んでいた脚がいつまでも浮いているのです。スピードが落ちても、それなりに少しづつ少しづつ前進を止めない、しぶとい伏浮きを己の体が実現している!これは感動でした。

 

 思うに、浮心が沈んだ結果、重心が前方に後方に前方に移動したということか。本日は、この感動で頭が一杯になってプールでのスウィムを終了。ただ、脚が浮くということは、プルブイを脚に挟んでクロールをしているのと同じ感覚で、水中を滑るような泳ぎになっていることを実感した次第。因みに、これまでの私のスペックは25mを通常で16-18ストローク。これまでは沈みがちな脚を引き摺って、頑張っての無理矢理の涙ぐましき14ストローク。25mノーブレスダッシュで15秒弱。

 

 ここに書いてきた伏浮きの姿勢が、果たして正しいかどうかの責任は持てませぬが、私にとっての水泳の楽しみがどーんと増えた事は事実でありますw 明日からはこれをどのように応用するか、これまた実に楽しみなんであります。

 

 ここをご覧になって、もしも、同じように伏浮きを体験できた方、是非、コメントなりトラバなりをお願いいたしますm(_ _)m

 

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核廃絶のために憲法改正を! -日本国は無辜の民を殺生せず-

2009/03/21 23:10

 

 ひょんなことから、本の出版に関わることになりました。書名は「つたえびと」で、私も一文を寄稿しました。一般の書店に並ぶことはないと思いますが、ISBN978-4-9904629-0-1という国際標準図書番号も取得済みですので、入手は困難でしょうけれど不可能ではありません(笑)。

 

■ ■ ■

 

 

 

 本の文化・伝統を実感できない人々の勘違いに「自分のための勉強」というものがあろうかと思います。が、こんな馬鹿げた話はないワケで、ちょっと考えればその間違いに気付くことができます。古来より、日本の学問とは他人様(ひとさま)のためにするものでした。ですから一生懸命にやらねばならぬし、当たり前のことながら、やり甲斐がみつかります。結果、豊かな人生を紡ぐことになります。大切なことは覚えることにではなく、考えることにあります。これを自問自答と言い、洋の東西を問わず学問の礎とされてきたもので、我が日本においては(乱暴に言ってしまえば)大和心とも言われてきました。

 

 

 先日のオバマ大統領の就任演説には、似たような価値観を私は感じました。オバマ氏は大統領選を通じて核廃絶にも言及していました。が、その詳細は不明です。と言うよりも、オバマ氏と言えども米国大統領には叶わぬ夢、と私は考えます。なぜなら、欧米にはそのような文化的背景が希薄ですし、当の米国が人類史上初の核兵器を使用した残虐非道な国家だからです。その米国が本気で核廃絶を言おうものなら、かつて核兵器を使用したという「人道に対する罪」を認めざるを得なくなるでしょう。これは明らかに米国の国益を損ねます。

 

■ ■ ■

 

 核兵器とは、誰もが知っての通り、無差別殺傷が目的の大量破壊兵器です。そして、核兵器に対抗できるのは核兵器のみ。が、元「共同通信」記者で安全保障の専門家「独立総合研究所」社長の青山繁晴氏に依れば、これは過去の軍事常識とのこと。現代日本のテクノロジーと国力を以てするならば、我が国は核に通常戦力で対抗できるそうです。私は軍事に疎いのでこれを検証したわけではありませんが、可能性のある話に思えました。この点を、軍事専門の方々を含め多くの人と議論し、理解を拡げたいたいところですが、もしも本当に核兵器に通常兵器で対抗できるならば、核兵器保有が意味をなさなくなります。

 

 

 これだけでも痛快極まりないのですが、青山氏は日本という国は決して無辜の民を殺傷しない、そう宣言すべきと仰っています。日本が保有する通常戦力は、日本に対して敵意を抱く軍隊や組織等に限定し、無辜の民を標的にしないというのです。こんな宣言をしようなどという国は、おそらく日本以外にはないでしょう。なぜなら、その実行には莫大な国家予算が必要となりますし、そうまでして平和を希求しようなどと本気で考える国家・国民はないと言っていい。常識的に考えれば、そんなことが国益に適うなどと思いもよらないし、そもそもそんな発想をする思想的、文化的背景が諸外国にはない。

 

 

 が、日本はこれを躊躇いません。なぜならば日本は被爆国である故その悲惨さを身を以て体験し、且つ、類い希な平和を希求してきた歴史と伝統を保つからです。-国のためあだなす仇はくだくとも いつくしむべき事なわすれそ(明治天皇御製)-ここが日本の日本たる所以なのです。ですから、これは日本が言い出し、実行することでしか実現できない平和なのです。日本人にしかその姿が見えない世界があるのです。これが実現すれば今世紀以降、戦争の概念が変わります。人類史上、初めて無辜の民が被害に遭うことがなくなる世界が拓けるのです。これは「戦争における人道革命」と言っていい。謂わば、武士道精神が世界を包むのです。

 

■ ■ ■

 

 而して、「無辜の民を殺生せず」という日本のソフトパワーが、モノを言う時代がやってきます。モノ作りに励んできた、その背後の思想性に世界が刮目することになります。銭湯という文化ひとつとっても(注:後述)、欧米人にとっては驚きの「平和な世界」なのです。それは世界規模の、人類福祉に向かう巨大な公共事業とも言えます。勿論、環境保護政策においても我が国は同様のリーダーシップを発揮できます。「杓底の一残水」等の思想は、その実践を含め、日本が指し示さねば諸外国は見出し得ない世界に他なりません。これらは世界経済が逼塞している今、全世界からも歓迎される21世紀のニューディール政策でありましょう。その実現の暁に、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占め」ることが、初めてできるのではないでしょうか。それには日本国憲法改正が不可欠。世界平和を希求するみなさん、今こそ憲法を改正しようではありませんか。

 

 なお、青山氏の「非核武装論」の詳細は下記ブログをご参照願います。
青山繁晴さんの非核武装論:イザ!

 

 

■(注)銭湯とウォシュレットにみる日本の「ソフトパワー」(WIRED VISIONから一部引用) 
また日本にやって来た。これから2ヵ月間、最近一番のお気に入りになっている公衆浴場を存分に堪能するのだ。 (中略) 銭湯に入ると身体と精神が1つになるが、それが可能なのは、技術、風習、達観した態度といった要素が結びついた社会的な基盤があるからだ。風景を眺めながら、見知らぬ人と並んで裸で湯船につかる…単純だが、実に日本らしさを感じさせるこの域に達するには、風呂や温泉という設備が整っているだけではだめだ。比較的安全で一定の信頼関係が成り立つ公共の場と、衛生を心がける姿勢、自然と身体についてのきちんとした考え方も欠かせない。 (中略) 驚くほど見事なトイレや風呂を開発することは、われわれにもできるかもしれない。しかし、穏やかで平等な、信頼関係が成り立っている社会、犯罪もなく、素晴らしい技術をわずか3ドル程度で楽しむことができ、そして大勢の他人の前で裸でいられる、そんな社会空間を作り出すことは無理だろう。仮にできたとしても、きっとそれは、「政治的」と揶揄されるたぐいの行動になりそうだ。

 

◆ ◆ ◆

 

上記原稿を書き上げて青山氏のブログを見て驚きました。氏も同じようなことを書かれていたのです。率直に言って嬉しい(笑)。

 

国益を考える講演会 青山繁晴-全国から、志をもって集まるみなさんへ

 

 

人物写真家 蛭田有一オフィシャルサイト:政界華肖像

 

 

 

 

カテゴリ: 政治も  > 外交    フォルダ: 非核武装

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心ない人々-2008年12月29日放送TVタックルスペシャルを見て

2008/12/31 18:17

 

IT革命とはもう誰も言わなくなった昨今ですが、この革命は静かに深く浸透してきていると私は感じています。それはインフォメーション革命であり、人々のインフォメーションの在り様に革命的な変化をもたらしていると思われるのです。通信技術の発達により、コミュニティは空間的にも時間的にも拡がりを持つようになり、今やそれが当たり前の日常として捉えられています。が、しかし、その本質を理解できない、従来のコミュニケーションの延長でしか利用できていない人々も大勢いることもまた事実。そのギャップを2008年12月29日放送TVタックル2時間30分スペシャルを見て再確認しました。

 

コミュニケーションとはなんぞや?本来ならばここから始めねばならないのですが、端折ります。大切なことは、意思の疎通を越えたところにある感動の共有にあるのだろうと私は考えています。つまり、共鳴・共感-或いは、反発・反感。琴線に触れるか、逆鱗に触れるかということなのでしょう。で、「従来のコミュニケーションの延長でしか利用できていない人々」は、実にこのことに無頓着なんですね。なぜならば、従来の限定されたコミュニティでは、それが曲がりなりにも通用していたからに他なりません。しかし、これだけコミュニティが拡がってしまえば、従来のやり方が通用しなくなるというのは自明のことでありましょう。にもかかわらず、現実にはそれに気付かぬ人々のなんて多いことか。

 

共鳴・共感とは、思いを遣(や)る-心を遣(つか)った結果の心の働き・作用です。「遣」という字には「行かせる、つかわす」という意味が込められています。従って、ふんぞり返っていたり、ジッと座っていてはダメで、自ら動かねば得られぬ心の感(うご)きでしょう。なぜ、こんな長々しい説明をするかというと、これらの心の感きに、特に日本人は古くから注意を払ってきたからなのです。その歴史や伝統が今後のインフォメーション革命に大きな影響を及ぼしうるでしょう。が、長くなりますのでこれも端折りますが、一つだけ参考までにWIREDの記事をご紹介しておきます。
 

銭湯とウォシュレットにみる日本の「ソフトパワー」 | WIRED VISION
http://wiredvision.jp/archives/200601/2006011604.html

 

さて、この共感・共鳴とは、なにも特殊な能力ではありません。社会的動物と言われる、ヒトという種においては、ごく当たり前のコミュニケーション能力の一端でしょう。人種や文化伝統を越えた、普遍性を備えたものなのではないかと思います。母と幼子の関係を想像してみれば、これは明らかなことでありましょう。基本的には人種も文化もヘッタクレもありません。どころか、哺乳類に限らず、生命現象の初期の頃から存在した可能性すら考えられることでしょう。ところが、この共鳴・共感いう能力が阻害されている事例が、この日本においてはふんだんに見かけることになります。何故にそうなのか。

 

簡単な例を挙げるならば、国旗や国歌、つまり己の属する社会に忠誠を誓わぬ政治勢力は、この日本以外で見ることができないということ。また、自国の国歌、国旗に敬意を表することを蔑む教育を堂々と行っているのは、日本以外では考えられぬ愚行でしょう。これは世界的に見て、極めて異常なことであります。気付いていないのは、当の日本人のみ。それぐらい阿呆馬鹿が蔓延っているのが、悲しいことに我が日本の実情。が、これも現代に始まったことではありません。遠く平安の昔から、日本にはそのような阿呆馬鹿が蔓延っていました。これは歴史的な事実。大和心、大和魂なる、わざわざ「大和」という限定を加えた心の在り様を持ち出す必要に迫られた歴史があったのであります。従って、この問題は現代の問題でもあり、古から続く日本固有の問題でもありました。

 

では、問題の2008年12月29日放送TVタックル2時間30分スペシャルに分け入って参りましょう。詳細はYouTubeなどを見て戴くとして、ポイントのみを書き起こすことにします。

 

YouTube - ビートたけしのTVタックル 2時間30分スペシャル 論

文で袋叩きに?田母神元空幕長も激怒! No.3
 

 

5分6秒頃
共産党衆議院議員 穀田恵二氏
「あのね、三宅さんね、彼は個人の論文で発表したとかなんとか言ってますが、そうじゃないんですよ。自衛隊の、幹部学校の講義の中に、そういうの全部押し込んできて、4年間、やってると。正に言論の自由じゃなくて、言論統制やってるんですよ。そういう事態についてなんのこだわりもなしにやってる。で、それをずっと見逃してきたということについて、自民党はどう思っているのか、公明党はどう思っているのか。ここが大事なんですよ!」

 

■このシーンを見て、まず驚きました。そんなの、全然、大事ではありません。穀田氏は、自衛隊という組織に向かって、第一義的に言論の自由を求めています。そりゃ当然のことながら、自衛隊員であっても言論の自由は確保されねばなりません。それ自体には同意します。が、それは全く次元の異なる話。軍隊に対して表現の自由を第一義に求めるって、おいw、何を考えているのか。加えて、共産党は自衛隊を認めてないんでしょ。認めてもいない組織に対して、伝家の宝刀を振り回すの図って、滑稽以外のなにものでもありませんぜ。

 

言論の自由と言っても、あくまでも自衛隊という組織の職務遂行に当たって抵触する場合には抵抗することはあっても、隊員の訓練や教育に直接的に持ち出す類のものではあらっしゃられませんてw。これを本末転倒と言います。故に、自衛隊における人権等を問題にしたいのならば、今回の田母神氏更迭問題にこそ、氏への不当な人権抑圧に言及し、政府、マスコミを追求すべきが筋というもの。そもそも、基本的人権なるものは、国家権力に対抗する国民の拠り所であることを、穀田氏はご存じない?少なくとも、政党が振り回すものでは、端からございませぬ。

 

本来の言論の自由を掲げるならば、学校教育という公共教育の場で日教組が行っている言論統制を、何故に問題としないのか。学校教育という幼子が対象のそれと、国防を職務とする自衛隊幹部学校のそれと、同列以上に扱おうとする思慮不足には慄然とさせられます。実に一般常識を以て理解するに能わざるものがあります。穀田氏にとっては幼子を守るよりも、人権を振り回すことが職務遂行上、きっと、優先されるということなのでしょうね。勿論、自衛隊員諸君におかれましては、幼子を守ることを優先すると私は思いますが。
以下、TVタックル実況に戻ります。■

 


一同ざわめく中、三宅久之氏の発言。
「本人の反論を聞いて」

 

田母神俊之氏
「あのですね、反日教育が多いわけですよ、日本で。学校で習ってくるわけだから。」

 

穀田氏
「反日教育って?」

 

田母神氏
「うん、私はそう思っていますよ。」

 

穀田氏
「でしょ。」

 

田母神氏
「それで、歴史っていうのは、戦争に勝った国が作るんです。それから、一時、戦争に勝った国から見た一方的な歴史観を強制されるわけですよ。だけど、ある時点で、負けた方もですね、自分たちの歴史を取り戻さなきゃいけないわけですよね。取り戻さなきゃ。だから、戦後、日本の国が侵略国家で悪い国だったと、ずーッと言われてきた、これを取り返さなければですね、私は自衛隊は日本の国を守れないと...」

 

穀田氏
「じゃ、戦前の軍隊からずーッと続いているワケね、あなた方の理論というのは。」

 

一同、口々に
「え、どういうこと?」

 

穀田氏
「ということだよね。」

 

田母神氏
「え、何を言っているのか、意味が判らない。」

 

穀田氏
「わからん人やなー(笑)。」

 

 

■穀田氏は決定的に田母神氏の話を読み違えています。田母神氏らから見れば、唐突に見える「じゃ、戦前の軍隊からずーッと続いているワケね、あなた方の理論というのは」という発言は、なぜ、飛び出してきたのか。推定するに、穀田氏は田母神氏を戦前から続く軍隊の一部ないしは延長と、始めから決め付けていたということですね。よくあるサヨクの結論ありきパターンの典型例でしょう。彼らは事実の積み上げ等の作業を決定的に軽視するか、解釈を捏造しても痛痒すら感じない。私たちから見れば実に不思議な思考様式なのですが、彼らには結論ありきでしかありません。論理の展開など、二の次、三の次。ですから、彼らにとっては不思議でもなんもないということになります。実際、穀田氏は「わからん人やなー(笑)。」と勝ち誇ったように田母神氏を嘲っています。

 

これに対し、田母神氏らは戦中、戦前の日本人の心に己の心を寄せてみた感想を話していたに過ぎません。謂わば、日本人としてのアイデンティティの表明に過ぎなかったのです。自衛隊員であろうがそこらの親父であろうが、ここは職業とは、全く、なんの関係ありません。日本人として先達に心を寄せた結果の、心情の吐露だったのです。ところが、驚くべくことに、穀田氏には「勝手に頭の中で描く残虐な日本軍」の姿しか存在しなかったのです。だから、強引にと言うか、牽強付会して(私たちにはそう見える)、あの発言になったとしか考えようがない。日本国民としてのアイデンティティを持てない人間に、いくら心を寄せろと言ってみても、心ない人には通じようハズもない、これも見事な事例ではなかったか。同様の例としては、社民党の阿部知子議員の有名な発言が挙げられます。

http://wiki.nothing.sh/1070.html

 

※1月3日追記:
■心を寄せるとは、己の開いた心で相手に添うのですから、当然、心理的には無防備な状態になります。猜疑心やらを抱えたままでは心を寄せることなどできようもありません。従って、穀田氏のように常に相手に対して猜疑心を以て臨むようなものではないのです。このギャップが会話によく現れているように感じられました。また、例え、他人であっても家族同様ににいたわり、心を寄せようとするのが日本人の心の在り方であろうと思いますが、これをよく現したドラマの台詞がありました(NHK 朝の連続ドラマ「ファイト」)。

「理由はわからない。でも、気持はわかる」
一般に、私たちの日常は「なぜ、そうなるんだ?」と問い詰めることばかりですが、これが家族ともなれば理由を問い詰めることもせず、静かに(結果としての)相手の気持に己の気持を合わせることができます。相手を責めずに、相手の心に添う(離れず付き従う)。従って、そこから生じた不利益等を一緒に受け止める心構えが既にできているのです。家族が負った傷を一緒に背負い、生きていく決意。それがどれほど力強く、優しい心持ちであることか。これが思い遣りであり、心遣いというものなのでしょう。そしてそれが日本人としてのアイデンティティに深く刻み込まれてきた姿なのではないでしょうか。■

 

もしもそうだとするならば、穀田氏の歴史観は虚構でしかありません。穀田氏が己の頭の中に勝手に描いた歴史観なぞ、誰とも共有できるものではありません(同じ穴の狢を除く)。詰まるところ、コミュニケーション不能の輩であり、常識というものを共有できない。これでは、いくら議論しても溝が埋まるハズもなし、私たちがその妄想に付き合わねばならぬ理由などこれっぽっちもありません。勝手にやってろ、と吐き捨てる以外に術がありましょうや。

 

とは言っても、こういう勘違いや間違いがあったことを穀田氏が素直に認めれば、溝が埋まる可能性はゼロではありません。一つ一つの事実を前にして、共通理解を積み重ねていく。この繰り返しが可能な相手ならば、という条件付きですが。という次第にて、日本のサヨク陣営には、この手の輩ばかりが目に付きます。日本人としてのアイデンティティがないからこそ、国家に敬意を表せない。こんな恥ずかしいことはないという、世界の常識からも遠く隔たって平気でいられる謎の人々。そう、日本にはこの手の輩は平安の昔から存在していたのです。歴史を知るならば、驚いてはいけないことなのです。

 

ついでながら、獨協大学教授の森永卓郎氏も酷かった。田母神氏から「話にならん」と一蹴されてしまいましたし、勝谷誠彦氏からは「偽善者」とまで言われていました。それでも、森永氏は何を言われているのか理解できない様子でしたが、不思議にも穀田氏の言説に理解を示していたのが笑えます。あと、民主党衆議院議員の山井和則氏も、よくわからない人ですね。山井氏は目立ちたいダケの発言が多く、問題の核心に触れるものが皆無という情けなさ。なんのために議員になったのか、志の方向性さえ見えぬ政治家の一人。もう一方(ひとかた)、同じく民主党衆議院議員の長島昭久氏。私は彼には少しだけの好感を持っているのですが、「これまでに積み上げてきたもの云々」で航空幕僚長としての田母神氏を非難していましたが、これは的外れとしか言いようがありません。政治家のみなさんのご都合はそうでしょうが、「そんなのに、なんの価値があるというのか!」という国民の声が長島氏には聞こえていない。国民の目線から見たら、長島さん、あなたも浮いてしまっています。また、「自衛隊の艦艇によるエスコートというのは、かなり効果があると私は思います。これは武力行使を目的とした派遣ではないですね。一緒に随伴するだけで海賊に対する抑止効果がある。」って、そういうお為ごかしが世界には通用しないってことに、いい加減、気付きなさいよ。これまでも丸腰に近い姿で戦地に派遣されてきた自衛隊員の身にもなってみろ、と言いたい。

 

麻生総理にしても、新たなる閣議決定や立法或いは法改正なしにソマリア沖に自衛艦を派遣するというのは、国際常識にも著しく反しており、一朝事あれば自衛隊員の生命を危険に曝し、国家が笑いものにされる危険をどうやって回避するのか。その具体策のありや、なしや...ないんだろうなぁ、きっと(怒)。政治家としての果たすべき責任を放置したまま、ひたすら現場の自衛隊員にシワ寄せする現状は、一国民としても、最早、納得できるものではない。軍人の名誉や生命を軽んじていて、どうして軍隊が国家の名誉や国民の生命を守る気になるというのか。ここをまるで理解していないか、偽善者としか言いようがない。それでいて、自衛隊員は閣議決定には従えだとぉー。私のような一国民ですら、ふざけるなぁぁあああッ!と言いたくなります。

 

それから、自民党議員の方々にも触れないわけには参りません。島村宜伸、平沢勝栄、大村秀章、石原伸晃山本一太の各氏にもガッカリさせられました。この程度の認識しかないのかと。特に石原氏の「言論クーデターかと思った」って、何事か。おい、おまいさん、それでも政治家かい。「このままでは、もうやっていけないよ」という自衛隊員を組織の長が煽ってはいけないとは、田母神さんご本人を前にして無礼な言い草でしかない。これに関連してというか、三宅さんが「サマワから帰ってきた隊員を首相官邸の庭などで労ってみてはどうか」という発言がありましたが、これは至極当然というか、なぜ、この程度のことをこれまでやってこれなかったのか。諸外国では当たり前の労いでしょうし、一般国民ですら軍隊に対しては敬意を以て迎えるのが常識。参考までに下記に米国民による軍隊への敬意を示す動画を紹介しておきます。


YouTube - Best Commercial Ever
 

 

それにしても、田母神論文に関連して明らかになったのは、この国の国防というものがどれほど危ういかということ。国民の心胆を寒からしめたことは間違いありません。そして、麻生総理と濱田防衛大臣を始めとする自民党及び防衛省の対応に、さすがに私も自民党を見限ることに致しました。最早、自民党では国防すら満足に担えない。ならば、百年に一度の経済問題を乗り切るなんてことができようハズもなし。ゆえに未来を託す気には更々なれない。何故なら、国防という国家の基本すら、この為体(ていたらく)ゆえ。ええ、鈍感な私にも薄々は気付いていましたよ。いつまで経っても解決の見込みすらない拉致問題への取り組み姿勢。安倍さんが踏ん張っていてくれたなら、まだ少しは希望を点せたかもね。安倍さぁあーん、カムバ~ック!

 

私ら一般国民をそこまで落胆させたのは、田母神さんがご指摘のように、一歩、一歩と、左側に歩み寄ってきた自民党政治史に他なりません。最早、自公政権が生き残る道は完全になくなりました。然らば、破れかぶれででも公明党創価学会と手を切ってみては如何か。奈落の底へと国民を巻き込むのだけは避けるのが、政治家として最後の国民へのご奉公であると肝に銘ずべし。自民党は以て瞑すべしと意を決すればこそ、浮かぶ瀬もあれ。これが最後の餞(はなむけ)です。

 

それでは、皆々様、よいお年を自力で迎えましょう!■

 

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青山繁晴さんの非核武装論

2008/05/28 16:08

 

 約一年振りのエントリになります。ご無沙汰しておりました。グルー氏の滞日十年も滞ったままで、心が痛みます。この春のFree Tibet, China Free! についても書きたいことがいっぱいあったのですが、どうにも書く気力が湧いてきませんでした。ところが、青山繁晴さんの非核武装論の件、これは書かずにはおられないと意を強くしました。

YouTube - 6カ国協議と「ぼくらの核武装論」-青山繁晴氏に聞く





 


撃論ムック 西村幸祐責任編集

 むむっ、一年以上も前の議論のようですが、青山さんの非核武装論を拝見し、強く共鳴いたしました。なんというか、目から鱗でした。私は軍事に疎いのですが、これこそが日本という国柄に合う戦略に思えてなりません。日本人ならば充分に得心できるプランです。撃論ムック「ぼくらの核武装論」は読んでいませんが、以下、動画からの要点を列挙します。

自衛隊に替わる日本国民軍の創設
核基地を叩ける通常戦力の整備・保有
 ・軽空母を保有
 ・潜水艦発射型の弾道ミサイル(通常弾頭)の保有
 ・米国に比肩、或いはこれを凌ぐ空中給油システムを持つ戦闘爆撃編隊の創設
  ・核運搬手段を完璧に叩ける通常兵力の保有
  ・特殊部隊群の創設(対核テロ)
諜報省の創設


 日本は唯一の被爆国であり、故に強烈な核アレルギーがあります。また、GHQの占領政策の洗脳もあって軍事アレルギーもあります。が、非核武装という、謂わば意外な戦略は耳に従いやすいものでしょう。おそらくは、安易な核武装論は殆どの日本人が躊躇うでしょう。現状では議論さえも封殺されています。かく言う私も、核武装論には逡巡していました。


 また日本人のメンタリティでは、多分、他国へ向けて絶対に核を使用できない。米国の属国とも言える立場に甘んじている現状を見れば、これは想像に容易いことです。つまり、抑止力としては有効かもしれないが、大変な無用の長物を抱え込んでしまうことになります。日本人には米国人のような人種差別意識がありません。寧ろ、欧米の人種差別主義と戦ってきた歴史があります。八百万の神々を崇める日本人が、例え他国であろうが無辜の民を殺生することなどできるハズもありません。ですから、核兵器という大量殺戮兵器は、やはり、日本という国には向いていないと言えるでしょう。


 青山さんの【民衆が民衆のために生きて、死ぬ国柄】の故に【日本は他国の一般民衆には絶対に手を出さないという新しい理念】を明確に打ち出す-米中朝露仏各国とは違う新たな理念というところに、正しく日本の国柄が滲み出ていると感じました。そして、この価値観こそが、欧米列強の最も畏れた日本という国の姿ではなかったでしょうか。


 と同時に、これは核保有国に対する強烈なカウンターパンチにもなろうと思います。核保有国とは一般市民への手出しを躊躇わない野蛮国家である、との烙印を押せますからね。ひょっとすれば、そこから世界の核廃絶へと繋げるという希望を見出すことも可能でしょう。核のない世界へと日本が先頭を切って乗り出す-この部分には多くの日本国民が賛同することでありましょう


 【核抑止力は核のみというのは、過去の軍事常識】【現代では(日本のハイテクを生かした)通常兵器で完璧に抑止できる】という戦略は実に意外でした。しかしながら、これが本当ならば、間違いなく日本の選択すべき道でしょう。非核武装には完璧な通常戦力の保持が必要という戦略は、実にたくさんの有意義な世界を揺るがす変化を孕んでいます。


 日本がまともな独立国家となることが、即ち、世界の核廃絶へと繋がるとなれば、そのようにして世界に貢献できる国は、青山さんが仰るようにこの日本以外には存在しません。この議論、大いに広めていきたいところですね。必ずや多くの日本国民が支持するに違いないと思います。我が日本には、核のない世界へ導く意志と実力があるということです。これは間違いなく【日本的価値観外交】の復活へと繋がります!

 

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チャイナフリー

2007/07/16 08:40

 

 アメリカ食品業界では、チャイナフリーシールが普及しそうな勢いですが、これは歓迎すべき状況でしょう。良識ある人々ならば、誰もがこの認識に達します。未だ良識を持ち得ない人々のため、チャイナフリーは有効であろうと思われます。

  それは中華思想からのフリーであり、平和を求め戦争や争い事からのフリーでもあります。アメリカ中国リスクが認識され始めている今、思想的或いは中国製プロパガンダからのフリーは耳に届きやすいものと思われます。これ、特亜三国全てに有効であると同時に、反日日本人にも有効でしょう。

 ダルフール危機、環境汚染、資源爆食、毒食薬品などなど、全ては中華思想に原因があります。この厄介な問題を世界共通の認識にレベルアップするよい契機になるでしょう。いや、そこまで行かねば、地球の未来は暗い。地球のガン細胞を除去する執刀医は日本人こそが相応しいでしょう。なんせ、このガン細胞に悩まされ続けてきましたからね。病因を熟知し、その対処法に通じているのは日本人しかいないと腹を括るべし。


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滞日十年 p16-p23

2007/05/11 15:22

 

…… 16 ……


     大 使 館 員 へ の 訓 示
  一九三二年六月十三日
十時、参事官、書記官、陸海両武官、商務官、彼らの助手、ニ名の領事の参集を求めて、次のことを話し
た。自分はこの一群がこの上もなく力を合せて働くことを望み、彼らの誰に対しても私の部屋の扉は開放されて
いる、そして彼らは私の役に立つと思う報道なり意見なり示唆なりがあったら、いつ何時でも私のところへくる
こと。それからまた、特に政治的の、意味のある意見なり報道なりを耳にしたら、秘密の覚書を私のところによ
こすように。かくの如き覚書は絶対の秘密が保たれ、私が大局を観測する上に極めて役に立つに違いない。特に
彼らは私としては容易に近づくことの出来ない個人や階級に接触することが出来るのである。私はあらゆる場合
の議論が聞きたい。また私は一定の時間にきまった会議を開く習慣を持っていない。何故かというに、このよ
うな会議は、とかく強制的なものになりやすく、あまり役に立たないからである。それよりも私は何か特別に議
論する問題が起った時、随時会議を招集する。例えば一般情勢について国務省に打電する時とか、私が説明を求
めたいある種の事件の進展についてとか。
式部官の一人、黒田伯爵来訪。明日の信任状捧呈について打合せる。その後時事新報記者某氏来訪。満州にい
た人で、興味の深い会話を交した。彼の話によると新「満州国」の日本人官吏は物事を日本政府の見地から見よう
とせず、東京から支配されることを全くよろこばないのである。国際調査団はひどく慎重で、現在までどっ
ちともその態度を明らかにしていない。


…… 17 ……


 その後でAP特派員バブがきた。私は日米協会での演説を新聞記者として批評してもらいたく、彼を招いたの
である。特に私はこの草稿の中に、何か新聞が途方もなく拡大して取上げるような性質の物があるかどうか、バ
ブの意見が知りたかった。彼は注意深く読み、二、三大して重要ではない示唆を与えたが、それ以外何らの欠点は
なく、よく出来ているといった。商務官のバッツもこれを読み、同じことをいった。ビンガムはいくつかの優れ
た提案をした。例えば日華紛争に対する米国の本当の態度とか、満州とか、九国条約とか、円卓会議とか、フー
ヴァ・ドクトリンとかいったふうな、聴衆が心から聞きたがっていることは分っているが、さて新聞がそれを取
上げて、望ましからざる論評や議論をするような問題を全く避けて、しかも演説に間を持たせるというととは、
実にむずかしい仕事である。日本における私の最初の演説で、聴衆の腹の中に無理やりに米国の政策を押し込ん
だところで何にもなりはしない。だが私は、米国が極東問題に関して持つ興味と関心が如何に一般的であるかは
はっきりいうつもりである。これは聴衆の心の中に、しっかりと沁みこむであろう。
 日本の主要政治家の一人が、謁見に先立って私に会いたいと申入れた。この人は私に去年彼が米国へ行く前、
天皇も日本国民もスティムソン氏が満州事変の時発表した文書なるものは、スティムソン氏個人の意見であり、
彼の発意によるものと考えていた。だが米国から帰ったこの外交官は、事実はそうでなく、日本政府にあてた通
牒は米国の世論、特に教会や教育機関や婦人団体からの圧力によってスティムソン氏が書いたのであることを天
皇に報告した。これらの諸団体の感情、ならびに一般的世論は、いまだに人心を去らぬ大戦の記憶によって惹起
されたのである。なお米国の態度には、また別の理由があった。即ち米国は国際連盟の生みの親であり、連盟に
加入はしなかったが、こゝに述べた米国の諸団体は連盟に対して道義的責任を感じ、そしてこの道義的責任感は


…… 18 ……


米国の両肩に重荷を投げかけようとする欧州各国の態度によって、一層強いものとなった。スティムソン通牒は
このようにして、政治的よりも社会的の地位を基盤として持っていた。私に会いにきた政治家は天皇に向って、
米国の教会や大学は日本の皇室にも匹敵すべき大きな力を持っていると語った。彼はこの事実を、例えばとヒュー
ズ氏、クーリッヂ氏、キャッスル氏、チャールス・フランシス・アムス氏、各大学の総長その他の名士に会って
話し合い、それらのすべての人々が米国の世論については同様の意見を述べた。つまり彼はこれらの事実をたし
かめたのである。
 この日本の紳士は私が謁見に先立って、天皇がこの事実を知っておられることを承知していたら、役に立つだ
ろうと思うといった。話の間にこの問題が出るかも知れず、また家内も皇后とお話している時、米国の婦人団体
とその影響力とが話題になるかも知れないから、やはり知っていたほうが都合がよかろうとのことであった。
 私は彼にこのことを話してくれた思慮の深さを感謝し、そして彼が米国の世論について天皇にお話したことは
まったく正しいが、たゞ米国民がこの問題について感じている道義的責任は、国際連盟よりも、むしろケロッグ
・ブリアン協約と九国条約のほうに重点があるのだと話した。
 七時、ネヴィルを大使官邸に呼んだ。日本が恐らく早期に「満州国」を承認し、また内田伯爵を外務大臣に任
命することが差し迫っていることを、国務省に打電したはうがいゝと思ったからである。いま満州国を承認する
ことについては、いろいろと相反する噂があるが、内田は陸軍大臣の荒木将軍と会談中であり、もし内田が外相
の椅子を受けるとすれば、それは軍の完全な賛成によってであることは明らかである。
どんなことが起るにせよ、一つのことは確実であり、それは軍部が明瞭に政府を動かしていて、軍部の賛成が


…… 19 ……


なければ何事も出来ぬということである。

     天  皇  の  引  見

 一九三二年六月十四日
今日は大変な日だった。人生というのは要するにハードルの連続みたいなもので、実際それらのハードルを
飛び越してしまえば、スタートする時考えるほどむずかしくはないのだ。人間の心配の多くは-われわれがそ
れに負けていると神経衰弱になるような性質の心配のことだが-全然不必要な危惧に基づいている。
十時廿分、皇室の鹵簿(ロバか?)が事務所に着いた。馬車にしても供奉の騎兵隊にしても官邸までくるよりもこのほうが
操縦に容易なのである。大使館員は燕尾服に威儀を正し、写真をとって、そして撮影の時の列を崩さずにいた
時、式部次長黒田伯爵がわれわれを迎えに来た。土砂降りの最中で御者や騎兵中隊長の帽子の羽根飾りはびっ
しょり濡れていたが、こんな雨も誕生日のお菓子みたいに派手な鹵簿を、みじめなものにはしなかった。十時卅
五分出発。前駆の騎兵、後駆の騎兵、それに続くのが館員をのせた何台かの馬車。北米合衆国の大使はたゞ一人
堂々と馬車の後席に坐り、彼に向うのが黒田伯爵である。有能なる警察はすべての交通機関を停止させた。そして
電車の中なりタキシイの中なり、あるいは往来にいる者の誰かがお辞儀をすると(めったにいなかったが)大使
は帽子を上げて答礼するのだった。
われわれが非常に美しい宮城の構内に入ると、近衛兵の一隊が気を付けの姿勢で並んでいて、ラッパを高々と
吹き鳴らし、十時五十分、一秒の狂いもなく玄関に到着した。式部長官林男爵が出迎えて大きな応接間に案内した


…… 20 ……


が、同男爵は英国大使であった時ローザンヌ会議に出席したことがあり、私はそこで彼に会っている。さて、こ
の応接間には多数の官吏が集っていたが、斎藤子爵もその一人だったことはいうまでもない。やがてアリスとエ
ルシイと大使館の婦人達が着いた。われわれは十分か十五分ほど腰を下ろし、まことに立派な部屋、特にその衝
立や漆塗りの扉を眺めて感心した。それから天皇の部屋へ導かれた。扉のところでお辞儀をし、半分ほど進んでお
辞儀をし、すぐ前に行った時三度目のお辞儀をするのである。
私は御挨拶の言葉を読み上げた。それは通訳の「外務省のスポークスマンとして有名な例の白鳥によって日
本語に訳された。白鳥は折にふれて相当勝手なことをしゃべりまくった男である。そこで私は信任状と前大使の
召還状とを奉呈し、続いて天皇が調子の高い単調子で、日本語の挨拶状を読み上げられ、白鳥がそれを英語に訳
した。それが終わると、儀礼式にいう「握手」があり、天皇は二、三の型通りの質問をされた。私には白鳥のいうこ
とが四分の一しか聞き取れなかったが(白鳥は私が耳の遠いことを知っていたのだが、陛下の前では大きな声を
出すことが、どうしても出来なかったのである)出来るだけちゃんとした御返事をしようと努力した。天皇が後
ほどまた会おうといわれたので、私は館員を御紹介申上げるお許しを受け、彼らは一人々々部屋に入ってきた。
規則通り三度お辞儀をし、あとじさりをしながら再び三度お辞儀をする。ネヴィル、ディックオーヴァ.ターナ
ア、ワシントン、ビンガム、マキロイ、ヂョンソン、ロバーツ、バッツ、ドウド。私自身も、うまい具合にあと
じさりに退出し、これで終わった。すべてが時計のようにキチンと、そしておごそかに行われた。
エムペラア・ヒロヒトは若く-卅一と聞いている-小さな口髭をはやし眼鏡をかけ、話をされる時、心持
のいゝ微笑を浮べられる。彼が軍装でわれわれを引見されたことはいうまでもない。天皇、秩父宮、高松宮--


…… 21 ……


この三人の兄弟は、非常によく似ている。
天皇の謁見が終るや否や、アリス、エルシイ、私の三人は皇后のお部屋に行き、こゝでも同じことが行われた
が、正式の挨拶状や信任状等の提出がなかったことは勿論である。それから皇后陛下には大使館員とその夫人連
とを御紹介した。が皇后はほかのどの女性よりも、魅力的な日本の人形に似ておられ、本当の意味で可愛らしい秩
父宮妃殿ほど美しくはないが、非常にいゝ表情を持っておられ、ニコニコと笑っておられた。高木夫人が通訳
したが、これまた小声で私にはねっから聞きとれず、幸いアリスが何から何まで私に伝えてくれたからよかった
ものの、そうでなかったら皇后の御質問に対して、私は何も返事することが出来なかったのである。この人達は
早晩、もし私から筋の通った返答を聞こうとするならば、もつと大きな声で話さなくてはならぬことに気がつく
だろう。耳が遠いというのは、ひどく厄介なことだが.日本の宮廷では殊にそうである。
 さてわれわれはきた時と同じようにして大使館に帰り、黒田伯爵と騎兵隊長と随員諸君とを事務所の私の部屋
に招いて、シャンペンをだしたが、これは大急ぎでやる必要があった。というのが、官邸に帰り、モーニングに
着換え今度は自分達の自動車で午餐のため宮城へ出発するまでに、たった七分間しかなかったからである。わ
れわれは十二時廿分宮城に着き、秩父宮両殿下、斎藤子爵夫妻、牧野伯爵、林男爵、松平伯爵夫妻、その他の人
々と立話をしていると両陛下がこられた。私はアリスとエルシイとを天皇に御紹介し、やがて一同は食堂に入っ
た。
 午餐は私が想像していたものよりもはるかに手軽だった。勿論静かで堂々たるものではあったが、両陛下はほ
とんどつづけさまに、また打ちとけて、われわれに話しかけられた。たゞ二人とも日本語を話されるので、食卓


…… 22 ……


の向う側にいる人達に通訳してもらわねばならない。一同がすばらしく立派な食堂に入ると、召使いたちはうやう
やしく頭を下げ-事実、両陛下の前では誰でも頭を下げるが-しかもその下げ方は欧州の宮廷におけるより
はよほど低く、また下げている時間も相当長い。
食卓についた人数は廿四人か廿六人だったと思う。秩父宮ご夫妻はテーブルの右側に席を占められた。アリス
は天皇の左、内大臣枢密顧問官牧野伯との間に、私は皇后の左に高木夫人との間に坐った。エルシイは二人の式
部官にはさまれて席を占めた。
料理も飲物もまことに結構であり、衝立にかくれたオーケストラは静かな音楽を吹奏した。私はこの部屋がす
ばらしく立派だといったが、大応接間のほうがもっと美しい。というのがこの食堂にはあまり見事でない木細工
や、重い感じの帷帳が沢山ありすぎる。だが矮生の松や花を前に置かれた、これこそ本当に豪華な金屏風や、食
卓の上の麗美な盛花は、私の目を捕えてはなさなかった。アリスは牧野伯爵と気心がよく合い、また牧野を通じ
て会話を交えた皇后を、気持のいゝ、話のしやすい方と思った。牧野はまったく立派な紳士であるが、そういえ
ばこの席につらなった人達は、みな立派な紳士だった。われわれは、当然のことながら牧野と、キャメロン・フ
ォーブスの前任者、ビル・キャッスルについて、いろいろと話し合った。
私は高木夫人を通じてほとんど間断なく皇后とお話した。高木夫人は追い追いと声の調子を上げて行き、私に
もよく分るようにしてくれたのである。皇后はあらゆることに興味を持っておられるらしく、私たちの生涯の話
私の旅行、前任地、スポーツの好み、家族のこと、アニタがモラ海から黒海まで、ボスポラスを十九哩泳ぎ
切った話など、すこしずつではあるが引きだして、とうとうわれわれについてのほとんど全部の物語を私に話さ


…… 23 ……


せられた。食後一同は、あちらこちら、小さなグループになった。天皇は白鳥を通じてトルコのことをだいぷん
質問され、皇后はアリスとエルシイにいろいろお話になった。ニ時きっちり林男爵が私に近づいたので、われわ
れは最敬礼をし、これで午餐会は済んだ。
このような儀式がとどこおりなく終わり、信任状の提出なども済ませたのは、よろこぶべきことだろうと思う。私
はこんなことには馴れているので前みたいに汗をかいたりしないが、それでもこれは一つのハードルであった。
大使館に帰った私は、外交使節団の全員にだす文書に署名した。たゞドイツ大使へのは、文章を変えることを
主張した。「われら両使節団の間に常に存在せる友好関係」という文句に記名することは私には出来ないからで
ある。同じ理由で私はスペイン宛の文書も変更した。ネヴィルはついでに英国もどうだと聞いたが、私は、一八
一二年※には、英国米国も日本に外交団を送っていなかったじゃないかと答えた。
 ※【訳注】第二回の独立戦争といわれる英米戦争のあった年。

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正統假名遣ひ

2007/05/07 15:54

 

 ケンポー九條を守らうと主張する人々は、其のお陰で戰後一度も戰爭が起きなかつたと言ひ張りますが、なんとも、愚かなことです。アタマが惡いとしか言ひやうがありません。何故か?其の愚かしさに氣附けないからに他なりません。ジョセフ・C・グルーの滯日十年をテキスト化してゐる裡に、其のことを確信いたしました。と云ふのは、平和を守らうとするならば、其のために盡力した人々の研究が缺かせない-此れは考へてみれば當たり前のこと。然し乍ら、ケンポー九條云々する輩の口からジョセフ・C・グルーやロバート・クレーギー等の名前を聞いた試しがありません。おそらく、彼等は兩氏の名前すら知らない事でせう。詰り、平和なるものに何の興味もないと云ふところが本音。其の證據に、土井たか子なんぞはケンポー、ケンポーと喚き乍らも、人民解放軍の軍事パレードには嬉々として參加してゐましたから。矢張り、アタマが惡いとしか謂ひやうがない。 


 とまァ、正統假名遣ひを使用しやうと考へましたw 此れは小林秀雄の影響もありますが、昨日、石井勳氏の傳統的假名遣ひのページで、戰後の、所謂、民主化政策の一環として現代假名遣ひに改められた事を知り、其の愚かさに氣附かされたからであります。國語審議會の在り方には、私は學生の頃から不信を抱いてゐましたが、矢張り、こいつ等は邪だつたのだと改めて了解した次第。安倍首相には、此れ是が非でも、教育改革の一環に正統的假名遣ひの復活をお願ひし度い。何故ならば、此れも考へてみれば當たり前のことですが、古文と現代文では全く違ふ表記がなされてゐるからです。現代日本人には當たり前のことのやうに考へられがちですが、實は大間違ひ。undefined敢えて、古文と切り離したのは世界でも日本ダケとのこと。此れでは自國の歴史を抹殺してきた支那、朝鮮と何ら變はりありませぬ。實に愚かなことなのです。英語にしても一六世紀から其の綴りを變てゐないとのこと。だから、英語圈の人々は古文を讀むに日本人ほどの苦勞をする事はないのださうです。GHQの政策は實に徹底してゐます。現代日本人の殆どが此れに氣附いてゐないと云ふのは、考へてみれば實に恐ろしい事です。 


 そもそも、歴史的假名遣ひなどと稱する事自體が陰謀を含んでゐるやうに私には思へます。現代とは切り離し、過去の遺物化してしまへと言ふやうな惡意が感じられるのです。私なんぞはまんまと其の罠に掛かつてをりましたが、小林秀雄の文章が、何故、正統假名遣ひに成つてゐたのか、漸く分かつてきたやうな氣がします。以下、滯日十年を轉載しますが、なるべく原文に沿つてとは考へますが、「つ」を「っ」に變換してあります。此れはOCRソフトがさうしてしまふためで、致し方ありません。ご了承願ひます。ふむ、一寸前置きが長くなりすぎましたので、滯日十年は次のエントリで續けます。なほ、傳統的假名遣ひソフト等を參考までに下記に記しておきます。


國語問題協議會
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kokugoky/
日本語變換ソフト「契沖」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~keichu/
「正(旧)仮名遣ひ⇔現代(新)仮名遣い」相互変換~まるやるま君
http://hp.vector.co.jp/authors/VA022533/tate/komono/Maruyaruma.html


 訂正:後段の長い訂正部分は、まつたくの私の勘違ひであることが判明しました。正確には、江戸時代に契沖が古文獻を硏究してその假名遣ひを調べ、學問的に信賴できる假名遣ひの基礎を築きました。これが後に歷史的假名遣ひと呼ばれるやうになつたもののやうです。ですから、歷史的假名遣ひの呼稱はGHQとは何の關係もありません(冷や汗)。

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滞日十年 p8-p15

2007/04/27 19:28

 


東   京  到  着
            一九三二年六月六日  東 京


 実際もって、とても大変な一日だった。人間はよく数週間あるいは数ヶ月前から、ある特別な日にはこんなこ
とが起るだろうと予想し、そして実際その日がくると、その予想は大体外れるものだが、六月六日だけはまった
く想像以上に大変な日だった。私は何から何まで見逃すまいとして、四時四十五分という馬鹿げた時間に起き
た。前の晩、船は日本の沿岸にそって走り、霧笛が一時間あまりも、不気味に吠え立てるに及んで、横浜への入
口のどこかで投錨したのである。私が起きてから一時間たらずの五時卅分には大騒ぎが起った。ボーイどもが力
まかせに船室のドアを片ッ端から叩き、ガーガー声で検疫官がくるから起きなさいとどなり廻り、五分後にまた同
じことを繰返すのである。これらのボーイが命令を徹底的に遂行する術を心得ていることはたしかだが、それに
しても鼻の頭をひっぱたいてやりたくなるような気持を起させないやり方もありそうなものだと思う。
 いずれにせよ、われわれは六時に検疫官に会った。だが、アリスや娘のエルシイ(彼女はたった二時間しか眠
っていない)は、そんなに早く起きて着物を着る必要はなかった。というのが、日本の官吏が一人、特に派遣さ


…… 9 ……


れて、まったくわれわれには顔も見せずにパーソンズと一緒にわれわれの旅券を調べた。別の役人はわが家の警
察犬キムを検査して特別の証明書を書き、もう一人の役人は荷物の心配をした。これらのことは何の面倒も伴わ
ず、極めて能率的に行われたのである。
 船は七時に岸壁に着いたが、もうその前から接待がはじまった。昨日、歓迎の電報が山ほどきたが、今朝はま
た次から次と人々が乗船し、われわれの船室にやってきた。その中には数名の日本の新聞記者や写真班員がいた
が、最後に米国大使館の参事官の、あの善き友エドウィン・ネヴィルとネヴィル夫人とがきてくれた。われわれ
は写真を取られ、また新聞社の質問に應じたが、私は政治問題に触れることを拒んだのはいうまでもない。だ
が、彼らの一見罪のない質問に対する返答は、その後巧妙にも私の言辞を引用した会見談に仕組まれ、ヂャパン
・タイムズは『グルー氏は語る』という題で、まさに晴天の霹靂ともいうべき書き出しをやらかした。曰く「自
分は、極東のスポーツと旅″という本を書いたが、現在の日本についてはほとんど何も知らない。新しい仕事に
ついたら眞剣に勉強したいと思う。家内の母はベルリ提督の娘で……云々』何という義理のお母さんをあてがわ
れたものだろう!
 閑話休題、われわれはプレジデント・クーリッヂのアーリン船長に別れをつげ、びしょびしょ降る雨の中を東
京へと自動車を走らせた。途中の景色はみすぼらしいものだったが、ネヴィルと、同乗した私とは、実にいろ
いろ興味の深い話題を持っていたので、景色などは目に入らなかった。そこで大使館。大きなくさむら、手入の
届いた緑の芝生、花壇、噴水、碁盤形に組まれたプール。白い四軒の建物は黒い鉄の飾りを持ち、ゆたかに繁る
木立の間に立っている。これは急に大きくなった都会の、どっちかといえば醜い周囲の中にある本当のオアシス


…… 10 ……


である。官邸は小高い丘の上にあって、事務所と寄宿舎とを見下ろし、深い木立の間の小さい石段を歩いて行く
ようになっている。官邸の内部はネヴィル夫妻と一緒に歩いて廻ったが、家具や、カーテンや、大廣間と小廣間
とそれより小さい廣間とに敷いてある厚くて贅沢なカーベットや、実に立派な腰羽目を持つ喫煙室や、ふんだん
にある本棚や置戸棚や(こゝでは思う存分書類を分類したり、しまったり、カタログをつくったりすることが出
来る)回廊や宴会室や、家族だけの食堂や、衣帽室や、七つの寝室や、四つのバス・ルームや、洗濯室や、裁縫
室や、物置部屋や-エルシイがよろこびの小さい叫び声をあげ、キムが新しい住居に完全に満足の意を表して
尻尾を振る一方、私はアリスに、マイナスはいくつある? とたずね、アリスは「マイナスどころか、ブラスば
かりです」と答えた。
われわれはそろってプールの横を歩いて事務所へ行った。私は館員全部に会い、それから主な米国特派員と面
会した。APのバブ、ニューヨーク・タイムズのバイヤス、UPのヴォーン、ヂャパン・アトヴァタイザアの
ライシャアである。よもやまの話をし、お互いのためになることだから緊密に協力したいものだと希望を述べ、
ちょいちょい来てくれるようにと話した。また陸軍武官のマキロイ大佐と海軍武官のもヂョンソン大佐は、ネヴィル
に、規則に従って第一軍装で私を訪ねるといったそうなので、規則などは忘れてくれと伝言した。金モールなど
着てこないほうが気楽に、愉快に話し合うことが出来るし、第一そんないかめしい格好でこられた日には、私は
口を利くことも出来なくなる。
 マヤ・リンズレイ・ブールとパーソンとが昼飯に来た。私はマヤが食卓について自己紹介をするまで、彼女
が誰だか思い出さなかった。一九〇四年、コプレー・ホールのダンスの時、誰だかが私に、「あれが日本から帰


…… 11 ……


ったばかりの娘だ」と教えたが、そのあとで私が『日本から帰ったばかりの娘』に紹介してくれというと、私は
マヤの代りにアリスのところへ連れて行かれたものだ。私はこの面白い話を思い出した。
三時、ネヴィルが来た。斎藤子爵に会うために私を議会につれて行くのである。本来ならば外務省で私をむか
えるのだが、議会を離れることが出来ないのである。彼は老人で-七十の坂を越していると思う-そして如
何にも老人らしく、また疲労しているように見える。会話はとだえ勝ちであり、いろいろなことで頭が一杯にな
っているために、会話に精神を集中することが出来ないらしく見受けられたが、何といっても立派な人である。
彼は以前には海軍の提督で朝鮮総督も勤め、今や総理大臣兼外務大臣として、困難に直面している内閣を、彼自
身の名声によって、恐らくは一時的にであろうが、切盛するために、難局に立ったのである。彼が議会で忙
しいことと、単に儀礼的の話しか出来ぬことを知っている私は、極めて短時間で引揚げたが、両陛下の謁見を願
う文書と、私の信任状と、前大使キャメロンフォーブスの召還状の写しと、私が天皇にお話しようと思う言葉
の写しとを置いてきた。この最後のはネヴィルがよろしいというので提出したのである。その後私はベルギイ
大使で外交団の最古参者、ド・バッソンビエール男爵を訪れた。非常に気持のいゝ人。
 五時、アリスは全館員の夫人と娘たちとをお茶に招いたが、何と六十五人である。しかも到着したその日に、
簡単な食事とはいえ、六十五人を招待することが出来るとは驚くべきことである。キャメロンフォーブスが雇
った日本人の召使はそろって働き、いさゝかの狂いも見せない。私たちは彼らの全部を引続いて使おうと思う。
 ビンガムとバーソンズとが晩飯にきた。バーソンズは寄宿舎の一つにあるアパートメントの準備が出来上るま
で、私たちと一緒に暮すことになった。私は最初の印象が消えぬうちにと思って一生懸命に日記をつけたが、今


…… 12 ……


十時卅分、これで眠ることが出来るし、定めしぐっすり眠ることだろう。やれやれというところだ。


        新 大 使 に 関 す る 新 聞 論 評


  一九三二年六月七日
 新聞はいろいろと面白いことを書く。昨日ヂャパン・タイムズは私が現代の日本についてはほとんど何も知ら
ないが真剣になって勉強したい希望を持っているといったと書いた。いろいろと勉強しなくてはならぬことがあ
るくらいのことはいったかも知れないが、何もそんなことをしゃべりはしなかった。いずれにせよ今夕刊の、軍
国主義的で反米的なタイムズは、この私が語ったということに基づいて一段半の社説を書き、私の「謙譲」と私
が虚心坦懐日本にきてそして勉強しようとしていることを、調子のいゝ言葉でほめている。日本語の新聞のある
ものは、タイムズ以上の勝手なことを書いている。例えば「東京時事」は
 グルー婦人は平和を増進する新大使にとっては、この上もない好伴侶である。船上で時事と会見した大使は
 「やさしく和やかな語調で情勢はまさに緊迫している」といい、また日本の事情に関しては十分な知識を持
 っていないと語った。閣下は「極東の開発と旅行」と題する小冊子の著者である。グルー婦人の母堂は日本
 の風景を多数の油絵に描いているので、それらの絵の影響で大使夫妻は日本に対して好感を持っている。

 【括弧は著者がつけたもの。J・C・G】

 「中外商業」は曰く


…… 13 ……


新大使は偉大なスポーツマンである。彼は背が高く、その濃い眉毛は彼の特性をよく示している。彼は男性的
に見える。彼は外交的に、日本の風景美を代表する富士山以外については、日本に関する十分な知識は持ち合
わしていないので、すべての質問に答えるわけにはゆかないと語った。新大使は明らかに才能ある外交官であ
る。
「東京朝日」はいろいろなことを書いているが、その中に曰く
新大使は長身の紳士で強壮で六尺ほどもある。彼の長く濃い眉は彼が素速く決心をする人であることを示して
いる。彼は「極東における運動競技と旅行」と題する小冊子を書いた。世界中に類を見ぬほどの驚くべき発達
を遂げた日本については、彼の日本知識もお伽噺みたいに不完全である。グルー夫人はよほど前に日本を訪れ
たことがあり、自分で描いた日本風景の油絵を多数所有している。夫人は大使よりも日本にきたことをよろこ
んでいる。大使令嬢は雨にもめげず、元気に甲板を歩き廻っていた。


「東京日日」は曰く
船上で日日の代表者と会見した新大使は「この際満州問題とか円卓会議とかいう時事問題について語ること
は、まことに当惑すべきである。しかし日米両国は今や小さな針で突いても神経がピリピリするほど緊迫した
状態にある。そのようなことよりも自分は米国で開かれんとするオリンピック競技が、世界中の注意を引いて
いることを話そう。日本は見事に競技をするであろうところの強力な選手団を米国に派遣するものと聞いてい


…… 14 ……


る。面倒臭い外交は国際間の友好関係を増大し、また維持する上に必要であるが、スポーツの交歓は今日、あ
たり前の外交よりも、よほど大事で、また偉大な外交である。……「新大使は四番目の、そして最後の令譲を
同伴している。

私がオリンピック競技について語りもせず、また愚鈍にしてそれが会談の有益な話題になると思いつきだにし
なかったことを考えると、日本の新聞は私よりも愚かに外交官的である。いうまでもないが、私は「緊迫した状
態」とか私の「最後の令嬢」などということは、一言もいわなかった。


      謁   見  の  準  備


  一九三二年六月七日
 信任状を提出するまでは暇だろうと思っていたがさにあらず、今日は私がいまだかつて経験したことのないよ
うな忙しい一日だった。幸いなととに私は七時半に起きて九時には事務所の机に向っていた。私はこれを続ける
つもりでいる。館員は執務時間についてはたしかに活を入れなくてはならない。
十一時に宮内省式部職の一課長、山形武夫が来訪した。山形氏は七月十四日天皇が私に謁見を許し、皇后もま
アリスとエルシイを引見し、その後一度帰って着換えをしてから三人は両陛下と午餐をともにすることになっ
ていると語った。彼は非常に身ぎれいで非常に懇篤であった。


…… 15 ……


 七時、ネヴィルが彼が国務省に送る電報を見せにきた。今日午後英、仏、伊三国の大使は、外務省に一番近い
米国大使館でネヴィルと四人で予備会談を開いた後、斎藤子爵と会見したのである。伊大使は年長の故をもって
座長となり、斎藤子爵に向つて、前外相芳沢謙吉が東京で円卓会議を開くことを提唱し、それが喧伝されたので
中国側はすでにその提唱に反感を抱き、そのため中国を除いたこのような会議を東京で開くことは役に立たぬ旨
を伝えた。他の三国も勿論これには同意なのである。
 これらの四ヶ国は、しかしながら、一致協力を欲し、そしてこれ以上の提唱が各国に駐在する日本大使を通じ
て行われんことを示唆した。斎藤は個人的の考えとしては中国代表を含めた会議が上海で開かれるべきだと答え
たが、日本の新外相が任命されるまでは、はっきりしたことは言いたくないといい、来週中にはきまるだろうか
ら、それまで、この問題は未決定のものにしておこうと述べた。私はまだ信任状を提出していないので、ネヴィ
ルに会議出席を許可する旨を打電した。斉藤の口ぶりによると満鉄総裁内田伯爵が外務大臣に任命されるらし
い。


 一九三二年六月九日
 英国大使サー・ブラシス・リンドレイが十一時、アリスと私を迎えに来て、自動車で葉山へ二人を案内し
た。エルシイはネヴィル夫妻と列車で葉山へ行った。葉山ではリンドレイ家の小さな日本風の家で、レイディ・
リンドレイ、ネヴィル夫妻、ロンドン・タイムズ特派員ゲネディ氏の夫人と昼飯を共にした。

 

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滞日十年 p1-p8

2007/04/26 18:03

 

 私は高校の頃に小林秀雄という文章に出会って以来、熱心な読者というわけではないのですが、氏の文章がずっと気に掛かっておりました。2001年に氏の第五次全集が出版され、それを手に取って見ていると、由布院の旅館玉の湯のご主人、溝口薫平氏撮影の小林秀雄の姿がふんだんに掲載されているのを見つけました。それまで私は小林秀雄と由布院の繋がりなどは全く知らなかったのですが、たまたま、溝口薫平氏や、娘である桑野和泉氏とお会いする機会に恵まれ、その折、小林秀雄との繋がりを尋ねてみたのですが、その答えは「私たちは小林先生の仰る通りの町づくりに励んできました」というものでした。なるほど、由布院の発展の根底には小林秀雄がいたのか...私は我が意を得たり!と嬉しくなってしまいました。


 さて、ジョセフ・C・グルーの「滞日十年」のテキスト化にあたり、平川祐弘氏の「平和の海と戦いの海」を取り寄せて読み始めています。この本の第一部では、二・二六事件の前夜、グルー大使の夕食会に集った齋藤實(まこと)夫妻、鈴木貫太郎大将、グルー自身を中心にして、これらの人々が第二次大戦中に行った平和への貴重な努力を、日米双方の史料の裏付けによって跡づけようとした作品なのです。「滞日十年」と平行して読み進めれば、きっと理解が深まると期待しています。と、そんな期待をしていたところ、第一章-グルー大使と齋藤實夫人-の冒頭に「辰野隆の伝聞」と出てきました。この辰野隆(ゆたか)氏は、仏文学者で小林秀雄の恩師なのです。更に、後ほど登場してくる白州次郎、正子夫妻は小林秀雄とは昵懇で、小林秀雄の娘と白州次郎氏の息子さんが結婚されているのです。


 ふ~むぅ、なんか、繋がってくるものですねぇ。ということは、私の勘もなかなかのものじゃないかとw
加えて、「平和の海と戦いの海」まえがきの結びに、平川祐弘氏の恩師市原豊太氏の短歌が引用されていました。先人の思いというものに、私もまた触れたような気がしました。


我一人思ふ心はたゞ獨り思ふに非ず祖先(みおや)の心


以下、引用を開始します。

■滞日十年 第一章
 …… 1 ……

第 一 章
 日本を覆う暗殺者の影 (一九三二年五月十四日-一九三三年二月十五日)

 本書が記述する十年間に、日本は国内的、国外的に、いくつかの突発的危機事件
を経験した。これらの危機のあるものは政治面のみに止まったが、暗殺や軍事的攻
撃の形をとったものもある。一九三二年は政治家暗殺の連続に明け、五月十五日の
犬養首相殺害に及んだ。本書は日本が満州国を承認し、国際連盟脱退を決心したの
みで、暴力行為には出ず、表面的には平穏だった時期を記述することによって始め
られる。

 …… 3 ……

使 命 開 始 さ る

 一九三二年五月十四日-十八日 【特急列車オーヴァランド・リミテッドにてシカゴ・桑港間】
 われわれは旅に出た。万華鏡に似たわれわれの生涯-第十四回目の任地、四度目の使命、そしてこれは最も
波乱に富んだものになるにきまっている。五年にわたってトルコ共和国が、既に死滅したオットマン帝国の残骸
から立上り、喘ぎ喘ぎ新しい救いへとたどるのを目撃したわれわれは今や数年、あるいは数十年の間、世界の注
意がそこに向けられるであろうところの、より広大な舞台に登場するのである。そこでは、たゞ一つのことを除
いて、どんなことが起るか分らない。その唯一の除外例とは日本が満州における投資、資産、国民、それから重
大な利害関係を、放棄するということである。日本は戦争に負けぬ限り満州に留まる。興味の深い問題は、日本
がどんな政策や方法によって国際感情に当面し、如何なる仮面によって都合の悪い事実を覆おうとするかの点
である。
 まったくのところ、興味の深い問題はいくつもある。日本は単に満州における現在の権益を守ることだけで満
足するのか、それともある人々がいうように、朝鮮を第一の足がかりとし、次に満州によって、全アジアにまた
がる大帝国を建設する意図を持っているのか。日本はソ連や米国との衡突を避けることが出来るか。最も重大な
のは、日本のこの抑えても抑えきれぬ衝動が、いつや全世界の反対という不動力に直面するのではあるまいかと
いうことと、そのような場合、その結果として起る大火事が、どんな形をとるか- 即ちそれは国内的の革命か
それとも戦争か-ということとである。これは大部分日本の出方によるので、われわれは内側からこの問題を

…… 4 ……

見ることが出来るのであり、しかも長時間にわたって見ることが出来ればいゝと思う。
 私は全力をあげて冷静な、そしてよく釣合のとれた意見を持つことにつとめよう。駐在を命じられた国に向っ
て偏見を抱いて出発する大使は、はじめから出かけないほうがいゝ。そんなふうな先入観は早晩、相互信頼の基
盤を打ち建てることを不可能にし、しかもこれがなくては建設的な仕事は何も出来はしないのである。同時に、
任地の国内的雰囲気にまき込まれる危険も甚だ大きい。だが私は大統領の、国務長官の、また国務省の考えを、
相当によく知っている。だから横路に迷いこむことはあるまい。そもそも私は日本が満州に対して持つ正当な抱
負には大いに同情するものであるが、日本がその抱負を実現させてきた不当なやり方には何らの同情も持っては
いない。
 全世界が大戦で忙殺されていた最中に表示された廿一条の対華要求や、一九三一年九月十八日以後日本が満州
や上海でケロッグ條約、九国條約、国際連盟規約などにそむいてとった純ブロシャ的な方法については、同情
を持つ者はいない。日華間だけの紛争は、條約の解釈とか、どの條約が正当なものであるとか、どっちが先に條
約を破ったとか、実に複雑な面を多く備えていて、これは技術的には解くことの出来ぬ問題だとする以外に方法
はない。しかしながら幸いなことに、米国は実に明瞭な立場をとっている。というのが、米国は日華紛争に関し
ては、どの一方にも加勢せず、たゞ国際平和條約と門戸開放主義とを尊重し、それによって世界に向って注意深
い意見を示し、立場を取ってきたのであり、必要とあらば今後もそれを続けるのである。以上が序論ともいちべ
きもの。
 出発するかしないかに釜の湯は煮えたぎってきた。シカゴの停車場に私を迎えたヘラルド・エグザミナアの記

 …… 5 ……

者は、五月十五日の日曜夕刊を持って来たが.それには大きな見出しで『日本の首相暗殺さる。大革命起る。宮
城危機に瀕す」と出ていた。これは四回目の重大な暗殺である。日本の軍部はそれを止める手綱を引きちぎり、
明らかにファシズム政体をめざして突進している。だが、新聞に出ている天皇が危険にさらされたということは
私には信じられない。これは何かの誤報だろう。日本人は国をあげて皇室を尊敬しているのではないか。犬養首
相を暗殺し、公共建造物のいくつかに爆弾を投じたこのテロリズムのデモが、もし熱狂者の一群の仕事だとすれ
ば、あるいはこんなふうな極端分子が軍それ自体を落着かせる効果を持つのではあるまいか。これはいずれ分る
ことだろう。
 シカゴ、オハマ、桑港などの主要駅には新聞記者や写真班員が出迎えて会見を望んだが、当然のことながら私
は日本や日本の諸問題や私の使命については一言も話さず、前任地トルコについて僅か語った。それでも彼らは
満足し、気持よく別れて行ったが、これは何も話さないよりはよほどいゝのである。ホノルルのある新聞は、次
のような記事をかゝげて、われわれを大いに面白がらせた。
 グルー大使はまことに洗練された人で、きびきびした米国式の攻勢と欧州人の用心深い慎重さとを兼ね備えて
 いる。彼は長身で気持のいl微笑をたゝえ、ボストン的でもなければ英国的でもなく、その両方が快くまざっ
 た、ゆっくりした話し方をする。
訳の分らない混合物ということらしい。
 オマハでは一人の記者が、過去卅年間に起った外交上の顕著な問題は何かと質問した。私は『疑うペくもなく
国際平和機構の設立だ」と即答した。だが、彼が今日の世界の危険分子の主なものはドイツと日ソ間の戦争だと

…… 6 ……

いったことに対しては、私は意見の発表を差し控えた。

     太 平 洋 を 越 え て

 一九三二年五月廿日 桑 港
東京の総領事ギャレルス、天津の総領事ロックハート、両婦人、並にJ・グラーム・バーソンズJRを昼飯に
招く。パーソンズは私の秘書でグロトンとエールの卒業生。私達の頃のグロトン校長ヂィピーボディ氏その他によっ
て大いに推賞される。Phi Beta Kappa。※ なかなか有望で熱心に勉強して私の手伝いをする気でいるらしい。
 ※【訳注】Phi Beta Kappa 【人生指導哲学】の三語を意味するギリシャ語の頭文字。
      学術優秀な大学卒業生だけが人る一種の結社。

午後四時、ダラ汽船会社のプレジデント・クーリッヂ号出帆。日本総領事、ギャレルス、ロックハート等船
まで見送りにくる。コンフェティを投げ、歓声をあげる。送られた花の数と美しさ、生れてはじめてなり。

一九三二年五月廿日-六月六日 プレジデント・クーリッヂ号にて
はじめの間は寒く。うねりも大きかったが南下するに従って暖かくなり穏かになる。比較的無事平穏な航海
なり。このうねりは桑港を出てから四百マイルは必ずあるものらしい。クーリッヂ号は大きな船だが一等船客
に関するかぎり、ほとんどからっぼで、五、六十人しかいない。廿三日、突然サイレンが六回続けさまに鳴り、
船は停ってボートが一隻下ろされた。三等船客の中国婦人が小さい子供三人を残して投身したのである。一時間

…… 7 ……

あまり海上を廻ったが、発見することは出来なかった。
 私は船中の最初の数日間に手紙を十五通書き、どんどん負債を果している。また日本での演説の草稿を書き、
日本と満州とに関する物を大いに読んでいる。この航海は面白くはないが、すくなくとも有益である。仕事以外
の主な気晴らしは二つある。一つは甲板上のブールで、朝飯前と、午後遅くデック・テニスを二、三度力いっぱ
いやった後で、二回にわけて泳いで、すばらしい健康を保つことであり、もう一つは、一晩おきにやるトーキイ
である。

  五月廿六日  ホノルル
 はじめてのホノルル。大変なお祭り騒ぎの日。五時卅分起床。私は娘のアニタと一緒に美しいネーブルス湾に
船が入るのを見るために、何度も早起きしたことがあるが、それを思い出した。六時ちょっと過ぎ、岸壁のバンド
が歓迎の曲アロハを演奏する音につれてドックに着く。家族の面々、この音楽でうまい具合に目を醒す。ホノル
ルの行政長官でハワイ総督の副官たるロス少佐、水先案内とともに乗船してきて、総督の名においてわれわれを
歓迎し、例の花輪レイを首にかけてくれる。レイといえば夕方までにわれわれは一ダースを越すレイを首のまわ
りにかけたが、新しいのをかけるため時々古いのを棄てた。香の高いいろいろな花で編んだ美しい花輪である。
 海軍司令官エーツ・スターリング提督はわれわれを根拠地に招き、水上機で空から見物しないかといってくれ
たが、多忙すぎて応じることが出来なかった。また陸軍の司令官は副官を派遣し、レイを贈ってわれわれを歓迎
した。日本総領事も同じくわれわれを訪れて花を贈った。私は出帆してから、それぞれに無線電信で礼を述べ

…… 8 ……

た。
 ホノルルから横浜までの十日間は雨と霧の一両日以外、穏かで暖かく快適だった。クーリッヂ号は桑港、横浜
間を三、四日短縮するだけの速力を持っているのだが.この航路のほかの船と歩調を合わせるために、わざわざ
ゆっくり航海するのである。

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